column 2013.8.8
 
稲村ヶ崎R事情

湘南茅ヶ崎・吉村順三設計の家「引き継ぐことの喜び」

安田洋平(Antenna.inc)・写真=森 千章
 

湘南・茅ヶ崎にある吉村順三設計・築45年の一軒家に暮らすのは、湘南唯一の蔵元の一家。時間を積み重ねて熟成していくのは、町の蔵元も、名建築も同じかもしれない。

茅ヶ崎の山側に建つ、元ゲストハウス

湘南唯一の造り酒屋である「熊澤酒造」代表・熊澤茂吉さんのご自宅にお邪魔してきた。

熊澤酒造は日本酒の蔵元でありながら「湘南ビール」を醸造していることでも知られ、茅ヶ崎市香川にある本社敷地内には酒蔵のかたわらに和食のレストラン、イタリアンのトラットリア、ベーカリーなどが併設されている。最近では古民家を敷地内に移築してきて新たな施設をつくることを計画中とも聞く。

6代目蔵元である熊澤茂吉さんは大学卒業ののちアメリカを放浪、その後帰国して廃業の危機に陥っていた熊澤酒造を見事再生させた手腕の持ち主としても知られている。

そんな熊澤さんが茅ヶ崎の山側にある吉村順三設計による家に引っ越してもう5年になる。築45年の家はもともと、寺田倉庫の創業者夫妻が、ゲストハウスとして使う目的でゴルフクラブ「スリーハンドレッドクラブ」の敷地内に建てたものだ。

1967年に建築家・吉村順三が建てた一軒家。

譲り受けることとなったのは同じく酒造と飲食の事業を営んでいる友人からの相談がきっかけ。自分の祖父母が住んでいた家だが、高齢であるため手放そうとしている、譲り受ける人が見つからないときは取り壊されるかもしれない、興味はないか? と。

「私が新しいものよりも古いものに惹かれることを彼は知っていたんですね。ただ、実は初めて見に来たときはそれほどピンと来なかったんです。特に建築マニアというわけでもなかったので、吉村順三さんの名前も知らなかった。けれど、何かがひっかかった。結果的にその後、何度となくこの家を見に来て、いつの間にか強く惹かれている自分がいることに気づいたんです」

この家のトレードマークとも言うべき、楕円の形をした煙突。

建物を見るうち、吉村順三にも関心がわいて調べるようになったが、知れば知るほどその「人」に惚れ込んでいったという。「建築家として、という以上に、その人の考え方・信念といった部分で感銘を受けるところが多かった」

そしてついに購入。現在、この家は熊澤さんの一家とご両親の2世帯で暮らしている。

玄関を入ると、リビングとダイニングをまたがる大きなピクチャーウィンドウが目に飛び込んでくる。昔は、ここから江の島まで見えたとか。
陽と緑と水

もともとはゴルフを楽しんだ後、ゲストをもてなすためにつくられたこの家。2階はオーナー夫婦の自宅部分と応接間、それから大きなキッチン。1階はゲストの宿泊用の部屋、茶室、ガレージと直結した「カフェコーナー」という構成でデザインされていた。

かつてのこの家のオーナーは来賓をもてなしたり、映像を見たりするための部屋として使っていた。現在は、たくさんのアンティークチェアが置かれ、家族のリビングになっている。

それを現在は二世帯住居として、2階を熊澤さんが家族4人で、1階はご両親が夫婦二人で使う。全体の建物面積は全部で140坪あり、十分な広さだ。

「本当によく考えられている家。住めば住むほどに発見し、奥深さがわかってくる」と熊澤さん。 

例えば、この家に入ってまず目に飛び込んでくるのがリビングとダイニングにまたがって広がる天井から床までの大きなピクチャーウィンドウ。そこからは庭の緑がふんだんに見える。また、ここは2階だが平屋に暮らしていると感じてしまうような設計がされていて、窓から目の前の芝生の庭に出られる。同時に、1階の庭から伸びる大きなケヤキのふさふさの緑が同じ窓から眺められる。2階から庭に出て下を見れば、1階の庭の涼しげな池も見える。2階の部屋の中にいても、時間帯によって1階の池の水面に反射した光が、室内にキラキラと映り込む。

季節や天候によっても風景が違い、たとえば大雨が降って水が溢れたときにだけ、庭に現れるもうひとつ別の池もあるという。

2階なのに平屋に住んでいるような感覚があるという。
2階のベランダから下を眺めると、池が。涼しさを感じる。
部屋全体が行灯のように

この窓には他にも工夫がある。戸袋からは障子が引き出せ、大きなガラス面全体を覆うことができるようになっているが、そうすると窓全体が照明のシェードのようになって、部屋の表情をがらりと変えてくれる。障子のすぐ前に立った人や家具が、逆光でシルエットになるさまは、何とも言えず美しい。

戸袋には障子と雨戸がしまわれている。障子を出すと、まったく違う光の表情が部屋に現れる。
障子に覆われた窓全体が間接照明のように、インテリアに光を落とす。

また熊澤さんいわく、夜、障子を閉めた状態で部屋の電気をつけ、それを家の外から見ると、部屋まるごとが大きな行灯のように浮かび上がるという。あるいは、朝昼に障子を閉めておくと、夏は緑の葉が、冬は枯れた枝がそれぞれきれいなシルエットになって幻灯のように障子の上に浮かび上がるのだ、とも。

「この家の一番好きなところは、春夏秋冬、また時間・天候によって、本当にいろんな変化が楽しめることなんです」

ちなみに、この家が建った当時は、近景に庭が、さらに、遥か向こうに、湘南の海が一望でき、さらにそのまた向こうに江の島までが見えたそうだ。(今はマンションなどの建物が建ったせいで、遮られてしまっているのが残念)

さりげなく、しかし細部まで細やかな心配り

他にも、さりげないが思わず唸ってしまうような工夫が各所に散りばめられている。たとえばリビング、かつての応接間は、前オーナーの「映像ルームとしても使いたい」という要望から、そのための仕掛けが隠れている。リビングとダイニングをゆるやかに区切る腰高のチェスト。その天板は実は一部分が開くようになっていて、中からは映写機が出てくる。このチェストはまた、オーディオラックでもあり、レコードプレーヤーを入れるスペースやレコード棚などが作り付けられている。サラウンドスピーカーも取り付けられており、仕上げに雨戸を閉めればシアターの出来上がりだ。熊澤さんは、12歳になる息子と、息子の友達と、みんなで「スタンドバイミー」を見たそうだ。暖炉に火を焚いて。

棚を開けると、レコードをしまうための専用ラックが現れた。天板も開くようになっていて、中にレコードプレイヤーが格納されている。

キッチンは、もともとたくさんの来賓が来たときにプロのシェフを呼んで対応できるように想定されていたこともあって、個人宅のそれとは思えない広さ・設備・使い勝手を持っている(なんと中華鍋専用の高圧ガスが来るコンロもあったりする)。本当は熊澤さんの奥さんは、この家の購入当初、キッチンだけは自分の好きなように一から作り変えたいと考えていたそうだが、使ってみるうちに考えは変わった。「何もいじる必要がない」。

プロのシェフの厨房としても十分使えるキッチン。タイルや扉のデザインが洒落ている。

2階の一番奥は、夫婦の寝室だが、その入り口の脇の壁にスリットが入っている。「ここはこんな風になっているんですよ」。押すと、くるりと回転して、姿見が現れた。開くと同時に、鏡のうえに照明が点く(閉めると、消える)。部屋の入り口部分の、この小さな空間はドレスルームでもあるのだという。ここで身なりを確認して、夫婦で出掛ける光景が目に浮かぶ。このように、さりげなくも、至るところまで気が利いている。

家が人を育てる

もちろん築40年を超す住宅なので、購入時には補修の必要なところもそれなりにはあった。屋根は穴があいていた部分を修繕し、壁は剥がして今の基準に合うよう、耐震補強。給排水や水回りもやり変えた。だが前述の通り、「いろんな部分をつくり変えることも考えていたが、『結果的に』その必要がまったくなかった」し、自分たちなりの使い方をしても受け止めてくれるような、建物としての柔軟性やおおらかさが、この家にはあった。

ご自宅の近くにある熊澤酒造の本社。敷地内は、日本酒の酒蔵の他、和食とイタリアンのレストラン、ベーカリー、クラフトビールの工場などもある。
日本酒と一緒に楽しむ日本料理の店。奥には、酒蔵が見える。

新しいものより古いものが好きと語る熊澤さんだが、その理由を「自分ならどう使うか」と発想していくのが楽しいからだ、という。40数年分、熟成したこの家を引き継ぐ喜びを今、感じている。

また、ずっと前、知人から言われた言葉をこの家に住むようになってよく思い出すという。「家がその人をつくる。だから家を選ぶことは、大事」。今すぐでなくても「時間をかけて」この家にふさわしい自分になれたら良いと思いながら暮らしている。

時の積み重ねによる場所の熟成。ご自宅にも、熊澤酒造の会社も、底辺に流れるものは同じではないか。

ある意味、それは蔵元としての心境とも通じている。熊澤さんにとってのいい蔵元とは、今の繁栄以上に「100年後どうあるか」が指標となっている。海外では、いいワイナリーがある場所はいい町であると言われることが多いように、100年先、湘南地域における文化の中心のひとつと言われる、そんな存在となれたら。「時間を重ねるほどに良くなっていく存在に」。その価値観のうえで共鳴するものがあったからこそ、熊澤さんは吉村順三の家に惹かれ、時間を共にすることになったのかもしれない。

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